フランスの技能者養成組織:コンパニオン・デュ・ドヴォワールについて。
以下は全日本建築士会会誌「住と建築」2007年12月号に記載した記事(宇田英男)

フランスの棟梁達が道具館見学

 さる11月15日、大工、左官などフランス職人の代表が道具館を訪れた。
 簡単な全日本建築士会の紹介の後、飯塚副会長が技の懇切な紹介。ま ず、「大工の魂」差し矩の使用法、副会長自作の仕口・継手(土台・柱の仕口と追っかけ大栓継)の1/3模型の説明と贈呈、次いで「押さずに引く」我国の道 具の特徴を実感するための鉋かけの指導と、和気あいあいたる雰囲気で予定の五十分があっという間に過ぎた。
 この代表達は翌日から静岡県で開かれる技能五輪国際大会を機に来日した。この大会は新聞も報じた通り、40の公式職種の技能を競うもので、洋菓子、料理から大工、石工、造園など伝統的技術、それにメカトロニックスや電子機器組立までの職種を含む。
  フランスの代表団を組織しているのが、コンパニオン・デュ・ドヴォワール・デュ・ツール・ド・フランス(直訳すると、フランス遍歴の義務の仲間達)と称す る団体である。職人の歴史、本質、養成などを考える上で「木造建築文化の継承と発展」を目的とする全日本建築士会に大いに参考となると思うので、この組織 の概要を今回入手した資料を頼りにまとめてみる。

コンパニオンとは?
 コンパニオンは仲間、即ち同業者を意味するが、フランス史で有名な「職業の本(リーヴル・デ・メチエ)」は1268年パリ商人会頭エチエンヌ・ボワロー が肉屋を先頭にそれまで形成されていた同業者団体を管理する目的で書いた。職人団体の数は13世紀末には130種に達している。
 これら同業者団体からパリ市長の前身である商人会頭が選ばれ、その本拠メゾン・オー・ピリエ(柱付きの家)がパリ市役所に名を変えて行く。職人団体はフランス自治都市形成の中核であった。
  葡萄酒商でも技能が問題で、肉屋、パン屋は腕前。そして、建設技能は石工の団体が設計から工事までを統括していた。13世紀に開花する建設ブームはフラン ス各都市に立派な大聖堂を残したが、石工の集団は遥かスエーデンまで大聖堂建設の技術を伝えに渡った。また、各都市の大聖堂にはステンドグラスや絵画や祈 祷所などに寄贈者として各種同業者団体の名が刻まれている。当時の経済繁栄を支えたのは職人団体を中心とする都市の経済力であった。近代になると王権の強 化でこれら市民達の力は隠れて行くが、基層は残っており、例えばフランス革命の発端となるバスチーユ牢獄襲撃の暴徒の多くは、その東側に住んでいたサン・ タントワーヌ城外地区のコンパニオン達であった。
 コンパニオンの養成は徒弟制度である。店や工房を持つ親方の所で十年二十年もの奉公の末、腕を 持つと認められると、暖簾分けや独立で一人前になる。独立まで時間が掛かるので、結婚は遅れ、中年過ぎて若い嫁をもらう。それで、未亡人が多くなる。弟子 が親方の後家と結婚して暖簾を継ぐ話も多い。徒弟制度や工房は、今日に名画を残すレンブラントなど画家の場合も同様。そして、同じくフランドルの話だが、 往時の名優ルイ・ジュヴェやフランソワ・ロゼの演じた白黒映画の傑作「女だけの都市」がこの頃の情景を描いている。話が少し脱線したので、本題に戻ろう。


コンパニオン・デュ・ドヴォワール・デュ・ツール・ド・フランス
 王政時代ストライキなどで制圧の対象になったコンパニオンの組織は革命後自由を 取り戻すが、工業化で労働者の多くが大企業に吸収され、自由な技能者が減る。これは、特に戦後の復興期に問題になり、今回代表を送って来たコンパニオン・ デュ・ドヴォワール・デュ・ツール・ド・フランスの組織は1945年に出来た。
 ツール・ド・フランスは自転車レースでもおなじみの「フランス巡回」の意味だが、これが技能者養成過程に取り込まれている点が面白い。
 若い職人見習いが道具を担いで各地を遍歴するのはヨーロッパの古い伝統だが、19世紀末から組合組織の発達や工房数の減少、それに鉄道利用で徒歩の苦行的意味がなくなったため、遍歴者の数が減り、この伝統の再興が強調されるようになった。
  今日ではフランスのみならず、ヨーロッパ全体、更に世界全体が遍歴の場となっている。道具館見学の日の夜、日仏学院でのレセプションで紹介された在日コン パニオンの菓子職人やパン職人は日本に定着し、日本女性と結婚して子供も居る。大工も一人。変わった所では蹄鉄師がオーストラリアから来ていた。
  若い時に世界を、それも自分の技能を通じて知ることは非常に重要である。他所の長所や欠点を含め世界を知るだけでなく、自分のなれ育った世界、故郷も客観 的に見ることが出来るようになる。「井の中の蛙」は自分の狭い世界に満足している例だが、もっと悪いのは、見慣れた自分の世界に価値がないと思うことであ る。我国の近代化や米国化の行き過ぎの原因は大いにこの辺にあると思われる。


ツール・ド・フランスの組織
 1901年に出来たコンパニオン・デュ・ドヴォワール・デュ・ツール・ド・フランス協会は、大工、家具、建具、桶 屋、屋根職、石工、左官、石切、塗装、庭師、修景家、金属、車体、鍋釜職人、蹄鉄師、機械、電機、配管、鍛冶、錠前、食品、パン、菓子、皮革、靴、鞄、馬 具、絨毯の伝統的職種を組織する。
 ツール・ド・フランスの研修過程には中学卒業以上の若者が1万人居る。予備過程6,500、研修1,200、継続1,650、修了500の割合で、2〜3年の研修の後、CAPまたは/及びBEPと言われる資格を得る。修了者のうち370人が遍歴修行をしている。また、8 千人が企業で継続的研修を受けている。
 遍歴修行者は半年の準備期間の後、遍歴を始め、半年から一年で場所を変えて行く。その間、最寄りのメゾン と言われる施設で後進の指導もしなければならない。遍歴を終えたコンパニオンは定着して仕事をすることになるが、時間が許せば、自宅に近いメゾンで後進の 教育をする義務がある。


ツール・ド・フランスの施設
 これらの研修や遍歴修行のためにフランス全土に100近いメゾンと通過施設がある。メゾンは30〜130人が宿泊、食 事、教育を受けられる規模。そのうち37は組織的教育が出来る研修センターを持っている。通過点は都市圏外の孤立した研修先の近くに設けられる5〜30人 規模のものである。その他、コンパニオンを受入れる家庭が150ほどある。
 これらの施設で働く養成担当者と教授は350人、定着したコンパニオン約500人がこれを補助し、その中核となる若いコンパニオンが52人居る。メゾンで里親代わりになる女性は61人。7,500の企業が研修生を受入れている。
  ツール・ド・フランス協会の本部はパリ4区にあるが、職種ごとに研究センターとしての技能学院があり、所在地は地方都市である。ちなみに石工の学院はフラ ンス中西部のロデズ、大工と木造建築はロワール川に面する都市アンジェにある。後者ICCBは、木造に関する生涯教育、建設での木の役割の増大、古い技術 の保全を目的とする。これらの学院を統括する組織として技能カッレジが技能全体の問題を扱い、その他、「道具と労働者思想の家」がトロワに、コンパニオン 書店とコンパニオン図書館がパリにある。「技能(メチエ)百科事典」は協会の重要な出版物である。


ドヴォワール(義務)の意味
 道具館見学の後、飯田橋の日仏学院に於いてコンパニオン協会主催で、道具学会が日本側の受け皿となった講演会があった。議題は、職人の両国でのイメージ。伝統とイノベーションの相関。技能/わざの伝達。人間国宝など。
 職人のイメージは日仏とも、3K的で、下請化などで収入が低い点共通という結論。しかし、伝統と革新を両立させたわざの重要な意味が強調された。そしてその伝達は?
 道具館で鉋がけをしたフランス棟梁の一人が起立して、鉋屑を見せながら立派な話をした。
・    ・コミュニカション(通信)は文字や画像や音声などで情報を伝えるだけだが、トランスミション(伝達)は違う。モノが伝わる。この鉋屑のように!動作、身振りを通じて!わざは通信出来ず、伝達されるのである!・・・
 そこで、飯塚副会長が紹介され、満場の喝采を浴びた。
 確かにわざは「伝達」でしか伝わらない。木造建築の技も建築設計の技も。全日本建築士会の設計製図講習でも同様である。わずか十日の実習だが、鉛筆の使い方から息づかいまで、講師の先生方は苦労している。
  広義の徒弟制度は今後もその歴史的意味を失わない人類の生き方の伝達の重要な仕組みである。この重要な意味がフランスのコンパニオン組織名のドヴォワール (義務)の言葉に表されているように思う。コンパニオン達は遍歴修行の後、定着してからも、自分の工房で、また時間があれば、協会のメゾンで、後進達に技 を伝達することを義務と心得ている。
 今回のこの偶然の来訪を機に非常に貴重な情報を得たように思う。ほんの数日前の話であるから、情報も完全で なく、咀嚼も十分ではないが、今後フランスの協会や今回得た知人とも連絡を取り、皆様に情報を十分伝え、議論をお願いしたいと思っている。日本でも世界漫 遊の研修制度を考えられるかもしれない。
特に,今回の訪問のきっかけを与えて頂いた道具学会の大沢匠様に感謝するとともに、このユニークな学会と大沢様が、伝統建築について我々と夢と希望を共有する点を強調したい。


(UL16/2/08)